「……え?」
麗らかな朝の日射しが窓から零れ、綺麗に整頓された部屋が、それは大層幻想的に見えた五日目の朝。おおよその荷物の整理と身支度を整えて、広間で朝食を摂っていた時のこと。
控えめなノックと伴に入ってきた公国の役人の言葉に、クレアは非難にも似た疑問の言葉を投げかけた。
「……なんで?」
眉を潜めながら理解し難いその状況の説明を求めた。非難を浴びた従者の方は“あんたの所為だろ……”と思ったが、そこは役人たるもののプロ意識。顔色一つ、変えなかった。
「いえ、ですから……シエラは本日事情がありまして……ご同行できないものですから代わりに別の者が本日の案内を……」
「だから、それがなんでって言ってるの!」
「いや、ですから……」
先ほどから、このような会話の繰り返し。数分前から同じような会話を繰り返しているが、終着点はまるで見えない。お互いがお互いの主張を通そうとするばかりで、全く譲らない。
そんなやり取りを見かね、クレアについて来た王国の従者が、控えめに話に割って入った。
「まぁまぁお二人とも落ち着いて……。クレア様、昨日の方にも何か事情がおありのようですし……。今日は他の方でも……」
「でも、シエラに会えるのは今日で最後なのよ!?」
クレアはヒステリックに叫んだ。目から涙が零れそうになるが、そんなことに構っている余裕も今の彼女にはなかった。それほどまでに、シエラの存在はクレアの中で大きくなっていた。
本国で気の許せる友達のいないクレアにとって、シエラはかけがえのない、とても大切な存在になった。本当ならば、ここでお別れなどしたくなかったが、それは仕方のないこと。だからせめて、最後にきちんとお別れをしておきたかったのだ。
だがそれも、もはや叶わないことになろうとしている。そのことが我慢ならず、こうしてヒステリックに騒ぎ立て、子供のみが持つ表現の仕方で自らの意思を通そうとしているのだが、一向に自分の意思に沿う結果にならない。故にクレアは癇癪を起こしていた。
そんな風に喚き立てるクレアを、付き人は必死に宥めるが、クレアは聞く耳を持たなかった。
ほとほと困り果てた付き人は、ちらと役人に目を向け……役人はその視線の思うところを大人の勘で読み取って、はぁ、とため息を吐いた。要するに、事情を説明しろ、ということである。
「……シエラは昨日の一件での罪を問われ、只今老獄中です」
二人は、はっと息を飲んだ。
「どうして!?」
すぐに抗議の声を上げたのはクレアの方だった。付き人の方はというと、声は上げないにしても、納得し難い表情をしていた。
二人の表情に役人は面倒くさそうにため息を吐いた。どうせ説明したところで納得などしない相手にわざわざ説明しなければならないとは。これ程面倒なことはないな、と役人は空を眺めた。
……まぁ、実際に見えたのは屋根だったが。
「先日、森で狼を殺した為ですよ。この国では、住んでいる動物を安易に殺してはいけない、という法律があるのです」
「な、あっちが襲ってきたんじゃない!」
「それでも、です」
役人は厳しい口調で言った。
「この国に住む全ての動物は、この地に加護をもたらす龍神の眷属だと考えられています。故に食す以外で、村に襲って くるなどのよっぽどの理由がない限り、一般人は殺してはいけないことになっています」
「そんなのおかしい!」
「おかしくなどありませんよ。あなたの基準が世界の基準と思わないことですね、お姫様」
役人は薄い笑みを浮かべ、吐き捨てるように言った。国の重要な任に就いているとはいえ、齢十八の彼にとってその怒りを沈めるのは、理解し難いことだったのだ。大人だろうが子供だろうが、犯すことのできないルールというものは確かに存在する。世界の中心に立っているようなこのお姫様には、どうもそれは分かっていないようだ。
役人がそこまで言うと、クレアは先ほどの勢いはどこへ行ったのか、押し黙ってしまった。クレアの横にいる付き人が非難の目で役人を見ていたが、知ったことか、と役人は飄々とした態度でいた。何もかも思い通りになると思ったら大間違いだ、と役人は思っていた。
しばらく、そうしてクレアは押し黙り、付き人はそんなクレアを心配そうに見守り、役人はめんどくさそうにただ立っていたが、痺れを切らしたように役人が、立ち去ろうと声をかけようとした時、クレアが先に口を開いた。
「あの、お願いがあるんですけれど」
役人は顔をしかめ、何事かと疑問を頭に浮かべながらクレアの次の言葉を待った。
「王に……、公王に会わせて頂けないでしょうか?」
†
薄暗い部屋に鳥のさえずる声が反響する。
湿った、カビくさい臭いのする部屋でシエラは、たぶんもうお昼くらいかな?、とそんなことを考えていた。窓は付いているものの、大人でも手が届かないくらい高いところにあるため、子供のシエラには全く届くはずもなく。故に、現在の時刻がいまいちはっきりしないが、外から聞こえてくる音とお腹の空き具合で、だいたいの時間を予測していた。
「……おなかへった……」
思わずこぼれた何度目かの本音は、空しく空間にこだまして、奥の通路へ吸い込まれていった。
「まぁまぁ……そう気を落とすな」
空間にこだまするシエラの声に答えたのは、この監獄に勤めている衛兵だった。
シエラに告げられた罪状は一日禁固刑だった。一日牢屋に閉じ込められ、食事も出されないので、一日断食をさせられているような、そんな刑だった。
普通ならば、龍を殺していないにしても最低三日は拘束されるのだが、今回はシエラに過失があったとは言い難く、自らの務めを全うしよとした結果こうなったということと、シエラがまだ子供だということを考慮され、一日のみの拘束となった。
「あと八時間くらいの辛抱じゃないか」
「おじさん、喧嘩売ってる?」
憤りを隠そうともせず、シエラはむっとした。その態度に衛兵は気を悪くした様子もなく、あっけらかんと笑って謝罪した。
この監獄にはシエラと同じように神獣を殺してしまったりして、禁固刑を受けている者だけが収用される。故にここには凶悪犯などはいない為、衛兵たちも気を張る必要がなく、親切で優しい人ばかりなのだった。シエラの今話している衛兵も、シエラの癇癪に気分を害すこともなく、また蔑んだりもしないので、シエラは遠慮なく話していた。衛兵としては、シエラに少しでも空腹を感じさせないように、という配慮で会話をしていたのだが、もちろんシエラは全く気づいていなかった。
そんな風にしばらく話していると。
通路の奥の方から別の衛兵がやって来て、何事かを目の前の衛兵に耳打ちした。シエラは不思議に思って状況を見守っていた。
次に、衛兵に言われた言葉に目を見張った。
「シエラ……、外に出ろ」