お世辞にも道とは呼びがたい迷路のような細い獣道をシエラは小走りで急いでいた。
踏み倒された草の上を転ばないよう気をつけて進みながら空を見上げると、夕日の色をしていたそれはほぼ夜の青に染まり、辺りは薄暗くなっていた。もたもたしていた数刻前の自分をシエラは恨んだ。

少し遠くの方で獣が吠える声が聞こえ、声のした方を見る。見えるのは黒い木々とその先に広がる闇だけだったが、その闇の中からこちらを何かが盗み見ているところを無意識に想像してしまい、シエラは歩みを速めた。
この辺りの夜の道が危険な事は近辺に住む者なら誰でもよく知っていた。この辺りの道で夜、野獣に出くわしただのアナコンダに出くわしただのなんて事はよく聞く話だ。それによって家に帰らなかった人も少なくない。

(多分もうすぐの筈だ…。)

そう思えた頃、ようやく家の明かりが見え、シエラはホッと胸をなでおろしたのだった。







思考の停止しかけた頭で重くなってきた瞼から微かに見える天井を眺めて、シエラは虚ろに考える。

(…何でだろうか。)

くらくらとし、意識を持っていかれそうになるが、何とかそれに耐える。
そもそも何故今自分は今天井を眺めているのか。
薄ぼんやりとした痛みが広がる頭の意識がはっきりしてきたところでシエラは全てを思いだし、ハッとした。
体を起こして原因の人を怒鳴りつける。

「アクアぁ!!!」

“ひっ …”と小さな悲鳴を上げてアクアと呼ばれた妹は小さな体をさらに縮めた。

…事の真相を言うとドアを揚げた瞬間に、突進される勢いで飛び付かれるという大歓迎を受けてシエラは床と地面の間に転がされたのだ。

つい先程あった事を全て思い出し、シエラが顔に怒りを露にすると怒鳴られた妹はシエラを見上げながら半泣きで“ごめんなさい…”と言った。
帰って来るなり「お帰りなさい!!」と大声で叫びつつ物凄い勢いで飛びついて来たとは思えないほどの変わり様にシエラは仔犬に見つめられた飼い主のような顔をして、それ以上は何も文句を言わなかった。
代わりに強打した後頭部を擦りながら“もういいよ…”と小さな声で言った。
それを聞くと幼い妹は顔を輝かせて、ずっと話したかったのであろう今日あったいろいろな出来事を今自分がどこに座っているかも忘れて話始めた。
今日友達とした遊びの話や学校のクラスメイトの話をアクアが続けている中で、シエラはアクアを自分の上からおろして立ち上がる。まだ先ほどの衝撃が癒えていないのか少しだけ体がグラついたけれど、何とかそれに耐えて先程から開けっぱなしになっていたドアを閉めた。振り向いた形で扉の鍵を閉めているシエラの顔は嬉々とした表情で自分の話に夢中のアクアには見えなかったが、シエラは“あぁ、うん…。うん…。”と虚ろな返事を繰り返しながら複雑な表情をしていた。
シエラはアクアの話を聞きながら、勘違いしてしまいそうな自分に頭の中で考えていた。
こんな風に普通に接して好かれていると意とも簡単に目の前の現実を忘れてしまいそうになる。普通に暮らしていられているこの状況がごく自然なものであると錯覚してしまいそうになる。

(・・・私はこの家族の誰とも血が繋がってないのに。)

シエラは5歳の時にこの家族に引き取られた孤児だった。冬の寒い雪の日、この家の前に倒れているところを家の人に発見されて、その流れで今こうして家族に育ててもらっている。
シエラはこの家族に引き取られる前の事をほとんど覚えていない。覚えている事といえばここに来る前はもっと寒い地域に住んでいたという事と、自分の名前と年齢ぐらいだった。
他には何かをはっきり覚えているわけではないのだが、何となく両親がもう既にこの世にいないだろうという事だった。両親が死んだ顔は見た事があるような気がするが、それを思い出そうとすると酷い目眩や呼吸困難に陥る為、その事については“なるべく考えないようにする”というのが今の両親との約束だった。


幾分かそうして考え事をしながらもアクアの話に耳を傾けていると、帰ってきた筈のシエラと数十分前から出迎えにいっていた筈のアクアがいつまでたってもリビングに来ないのを心配したのか、義母が様子を見にやって来て少しだけ怒った顔をして妹に注意をした。

「お姉ちゃんは居残りで疲れてるんだからせめて部屋に入ってからお話しなさい」

本当のところは居残りだけでこんなに帰りが遅くなっているわけではなかったが、シエラはそれは黙っている事にして、それよりも事前に居残りがあると義母に伝えておいてよかったと思った。もし言っていなかったなら多分自分も今みたいに怒られていたんじゃないかな、と妹と義母のやりとりをみていた。
注意を受けたアクアは不満そうな顔をしたが、小さく“はぁい…”と呟いて立ち上がった。
妹に″逃げられないように″しっかり手を握られてリビングに連行されると、そこでもまたシエラはアクアの話に長々と付き合わされた。長すぎるその話に疲労を感じ始めたころ、少し苦笑いしながら義母が

「あ、そういえばシエラ。貴女学校から手紙届いてたわよ」

と気をきかせて話題を反らしてくれた。
シエラはホッと胸を撫で下ろしたが、義母の言った″手紙″というワードに違和感を覚えた。

(なんか手紙なんて出される用事なんてあったっけ……?)

しかも生徒伝いに両親に当てられた物ではなく、直接家に送りつける程の重要な手紙を貰うような事を担任からの連絡事項で聞いた覚えはない。もう少し考えを巡らせてみたが、全く検討がつかないので、シエラは何だかだんだん不安になってきた。落ち着きのなさそうにしているシエラを見ながら義母はクスリと笑って、微笑みながら言った。

「一週間学校に来る大切なお客様のお相手をするんでしょ?」

“すごいじゃない”と義母は一層笑みを強めながら義理の娘を褒めるが、褒められた当の本人は心穏やかではなかった。
子供なりにあらん限りの演技力で“あぁ……うん”と、褒められて嬉しそうな顔で曖昧な返事を返すが、心の中では担任や大人に対する恨み言でいっぱいだった。そんな事を考えたところで誰に恨み言を吐けばいいのかシエラには分かるはずもなかったけれど。

(……とりあえず明日担任に会ったら思いっきり舌打ちしてやろう)

そう強く心に誓ってからシエラは再度アクアのペースに飲み込まれないように“今日はもう疲れたから……”と言ってそそくさと部屋に引き上げた。

部屋に入ってから何となく部屋の明かりを付けるのも面倒だったのでそのまま布団に入って眠ることにした。
寝返りをうって布団の隙間から見える窓の外を眺めると空には綺麗な星空が広がっていた。 先ほどの会話の内容がまだ頭の中に残っていたが、布団に入ってしまうと思考よりも睡魔が勝って、ほとんどのことがどうでもよくなってしまった。

(いったいどんなお姫様がやって来るのか知らないけど、とりあえずどんな奴でも相手になってやろう)

と薄れていく意識の中でそんな決心をして、シエラは襲い来る睡魔に身を任せた。

静かな夜。
姫が来る日の朝はいったいどんな朝日が昇るだろうか。








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