第二章














ふわふわとしたまどろみの中。
不意に体が揺られ、心地よいまどろみから意識を叩き起こされる。
危うく舌を噛みそうになったが、どうやらそれは免れたらしい。
しかし、反動で天井に撃った頭はなかなかに痛かった。涙目になりながら頭を擦っていると、前方から呆れたようなため息が聞こえた。

「何してんねん」

見ると、頭に角を二本に生やした一見悪魔のような少年が、肩ぐらいまである長い茶色の髪を揺らしながら、これまた先程のため息と同じような呆れた目をして、こちらを見ていた。一瞬その人物が誰だったかを思案して……答えにたどり着いたところで、自分の現状も同時に理解した。
かっこわるい所を見せた……、と思ったが、彼につける格好も今さらないな、と思い直し、少年は茶髪の少年に話しかけた。

「ごめん、アルバラン。寝てた」

茶髪の少年……アルバランは知っとるわ、と少年に言い、そして窓の外を眺めた。
つられるように自分も窓を見ると、喧騒に包まれた街中から、のどかな草原に景色が様変わりしていた。
遮るもののない草原には空の青がよく栄えて、時折通る風が草を一つ二つ巻き上げる他は何も見えないほど、広大な景色が広がっていた。
しばらくそうして窓の外を眺めていると……、突然目の前に黄緑色の長いふかふかしたものが垂れ下がってきた。

「うわっ」

突然のことに驚いて声を上げてのけ反ると、先ほどから頭の上に乗っていたのだろう生物の顔が、目の前に出てきた。

「キュイッ」

「カーバンクル!」

元気よく前足を上げて挨拶をされ、その生物の名前を大きな声で読んだ。
長い耳をして、額に大きな宝石を着けた、羽の生えた兎のような生物を頭の上から膝の上に降ろした。
それを膝の上で撫でながら、驚かすなよ……、と文句を言った。
懐に入っている懐中時計に宿るこの特殊な精霊は、名をカーバンクルという。普通ならば精霊は人に見えないはずなのだが、このカーバンクルという名の精霊は、現実に存在している物体と契約をしているが故に、人にも見える姿でいることができるのだ。
そして精霊故に重さがない為、頭の上に乗っていても気づかず、たびたび驚かされているのだ。
首の付け根の所を撫でてやると、カーバンクルは気持ち良さそうに膝に落ち着き、今にも眠ってしまいそうだった。

そんな様子を、静かに眺めていたアルバランは、おもむろに肩肘を窓辺について言った。

「……何か、夢でも見たんか?ゼロ」

名を呼ばれて少しの間思案したが、二の句を告げずにいると、それはつまり肯定の意味だな、とアルバランは言った。
そして俺に向き直って、何を見た?、と聞かれた。
真正面から見つめる深い青の目が、困ったように笑う自分の顔を写していた。
……さて、どう言ったものだろうか。

「続きだよ、続き。前に見た夢の……続き」

「恩人は?」

首を横に振った。
アルバランはそうか、とだけ言ってまた窓の方を向き、それきり押し黙ってしまった。
きっと気まづいんだろうな……、とそう思った。彼は俺が恩人を探していることを知っているから。
知っているからこそ、期待を込めて聞き、期待外れの答えだったことに対して、聞いてしまったことの気まづさを感じているのだろう。自分はそこまで気にしていないのだが、こういうことは本人よりも他人の方がデリケートになってしまうことが時としてあるのだ。

俺には産まれてから12年ほど、記憶がない。
あるのは、ここ5年間の、最近までお世話になっていた喫茶店にいた間のことぐらいだ。
何でも、俺も曖昧にしか覚えていないのだが……ある日突然、俺は店にボロボロの状態で、前触れもなく倒れ込んできたそうだ。当時、俺は酷く衰弱していて、その喫茶店に着いてから数日間はぬけがらのようだったと店主が言っていた。うわ言でずっと何事かを呟いていたそうだが、それがある日突然、嘘のように元気になったのだという。そして、その時はじめて俺が全ての記憶も失っていたことに気づいたのだと。
どうも俺は昔から記憶の抜けやすい体質にあるようで、一年以上ある事柄を覚えていることもあれば、数秒後にはもうそれを忘れていることもあるという……全く忘れるペースや事柄の規則性もない、変わった体質を、どういうわけか持っている。その為所なのか、産まれてから12年間ほどの記憶がないのだ。だから、自分がどこで産まれて、どうやって生きていたのかを俺は知らない。ましてや、両親なんてものも、分からない。
だが、とても不思議なことに、昔の俺はそんな自分の体質を知っていたのか、その体質を押さえる……要は記憶が抜け落ちていくことを防ぐ道具を持っていた。
それが、カーバンクルの宿っている懐中時計なのだ。カーバンクルは今まで俺が経験したことを覚えていて、もし万が一記憶を失ってしまったとしても、カーバンクルが失った記憶を教えてくれるので、最近ではそう困ることもなくなった。
そして、記憶を忘れてしまう代わりなのか……、俺には時々人の記憶が見える。正しく言うなら、物体に込められた人の記憶を読み取るとこができる。誰かにとって、思い入れのある物に触れると、その人の記憶が自分の中に入り込んでくるのだ。

と、そこまで窓の外の景色を眺めながら一人物思いにふけっていると。
気を取り直した風なアルバランが、唐突に先ほどの話の続きをしてきた。

「続きってことは、例の?」

俺は静かに頷いた。
数週間前のことだ。店の手伝いをしていて、偶然裏口に物を取りに行ったとき。ふと、家々の隙間を縫うように続く、その奥の先が気になって。
その道を進んだ先にあった、小高い丘の上で偶然、誰のか分からないペンダントを見つけた。それを手にしたとき……俺は何かとても大事なことを忘れていることを、そこではじめて思い出した。
覚えていない12年間ほどの記憶。
これまでキレイサッパリ忘れすぎていた為、全く気にもしていなかった。
でも、ペンダントに触れたときに見えた一瞬の記憶の中に、自分の何かとても大切なことが混じっていて……。それを垣間見て、自分が何故だかとても大切なことを忘れている気になった。

ペンダントに込められている記憶は、自分の忘れている記憶そのものではないものの、何故かそれを繰り返し見るうち、自分の大切な記憶にも繋がっているような、そんな気がして。毎晩それを見ているうちに、曖昧にでも思い出したのは、自分の命を助けてくれた、恩人のこと。
恩人が、夢の断片の中で俺に言っていたことと、今どこにいるのか分からないこと。その二つが気になって。
だから、今お世話になっている家を飛び出してまで、どうしようもなくその人を捜しているのだ。
そして、その為に失っている記憶を思い出したいのだが、どうもそれは上手くいっていなくて、仕方がないので最初のペンダントの記憶を辿っている。
そこに込められた記憶を追いかけていれば、何故だか何かが思い出せそうな、そんな気がするのだ。
故に、今はその記憶で見えた場所に、電車で向かっている最中だ。

「……おい」

そこで、向かいの席から咎める声が聞こえ、前方に意識を向けると、声と同じような目付きと態度のアルバランが少しむくれていた。

「頷いた後、オレを放置して夢想するなよ!続きは!?先が話されるのをオレは待っとんねん!!」

「はは、ごめんごめん」

そうやって友人に適当に謝って、改めて真剣な顔を作り、声の調子を整えた。
こういうのは、雰囲気が大事なのだ。
旅語り……もとい、吟遊詩人としてはここは盛大なる腕の見せ所だ。


……さて、どんな言葉を使って語ろうか?





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