二人とも茂みの中から現れた者に、声が出なかった。
よりによって地元でも危険だと有名な狼が、草木生い茂る暗闇から静かに出てきたのだった。普段ならそこまで人を襲うことはないのだが……縄張り意識が強く、時にはドラゴンを襲うこともあるというくらい縄張り意識が強いのだ。
縄張りに入りさえしなければそこまで危険な動物でもないので、今回は彼らの縄張りを避けて通るということで、特に問題はなかったのだが……。予想外のことが起こり、しかも最悪なことに竜の血が流れているシエラも一緒に領域内に入ってしまったので、狼が寄ってきてしまったようだ。
まだぎりぎり縄張り内に入っていないからなのか、頭から生えている二本の角をこちらに向けているものの、こっちをじっと見つめているだけで、襲ってくる様子はない。

(……おおきい……)

相手は一頭だけだったが、それがハンデにならないくらいの体格差があり、あっちからしたら子供二人など意図も簡単に殺せるだろう、と簡単に想像することができた。
恐怖で思考が停止しそうになる頭を必死に動かし、せめて目くらいは離すまいと、シエラは狼を見つめ返す。きっと一瞬でも気を抜いたら飛びかかって来るだろう。
引きつつった顔でガタガタと震えているクレアの前に出て、庇うようにして立つことがシエラにとって、相手に対する精一杯の虚勢だった。
震えているクレアを、少しでも安心させようと、強く手を握った。誰かにすがりたい気持ちはシエラも同じだったが……二歳しか離れていないとはいえ、年下で、しかも城からほとんど出たことがないクレアはシエラよりも、もっと怖い思いをしているだろうと考えたのだった。
そして、静かな声でクレアに耳打ちをした。

「ゆっくり……後ろに下がって。静かに。音をたてないで」

前を注視しながらシエラはクレアをゆっくりと後ろに下がらせた。
幸い、あちらに殺気だった様子はない。じりじりと後退して、このまま森の奥まで行って、静かに姿を消そうと考えていた。
けれど、そううまくはいかなかった。

パキッ

「きゃっ……」

自分で踏んだ枝の音に驚いたクレアが悲鳴を上げた。
その瞬間、シエラには全てがスローモーションに見えた。クレアの足元を横目で確認し、目の前の狼が飛びかかって来るのを見た。シエラは咄嗟に、懐にあった護身用のナイフを取り出して構えた。

ザシュッ

嫌な音がして、大きな体が地面に落ちた。辺りに血の臭いが立ち込めていた。シエラが構えたナイフは狼の首筋に刺さっていた。
状況を理解するのに少し時間がかかった。
ようやく事態を理解して、ほっとしたクレアは嬉しそうにシエラに駆け寄った。
しかし、シエラは全く嬉しそうな顔をしていなかった。カタカタと震え、青ざめた顔で死体を見ていた。

「あ……」

シエラがそう呟いた時、タイミングを見計らったかのように、クレアの護衛の人たちとシエラの担任の先生が、茂みの向こうから現れた。

「シエラ!」

担任の先生がシエラの無事を確かめようと、息を切らして走ってきた。

「あ……」

こちらを向いたシエラの顔を見て、シエラの担任は、ハッとした。 シエラの側で立ち止まって、シエラの両手と、その目の前にある死体を順番に見た。そして彼は苦い顔をした。周りの大人が自分の無事を聞いてくる中、クレアはその様子を不思議そうに見ていた。

(何だろう……?)

状況が理解出来ずにじっと二人を見ていると、不意に担任の方がシエラの頭に手を置いて、大丈夫だ、と安心させるように何度も言っていた。
そうこうしている内に、周りを囲んでいた大人たちに促されて、その場を離れさせられた。立ち去り際……、少し見えたシエラの肩は震えていた。





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